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いつもは五時や六時までの美術館は金曜日八時まで開いている所が在るから
行くなら金曜日 今日は天候が荒れるし五輪のフィギュアを優先する人が多いだろうから あんまり混まないかも.
Mi先生パワープッシュ【長谷川等伯】に行く事にした.
生徒さん達がMi先生分も含めて前売りのペアチケットを何枚か購入していたんだけど
Mi先生は他から貰えたそうで先生分のペアチケットが余ったから
あたしが一人分《千円》を払って買った.ラッキー☆500円浮いたよ.
これは会場で「一人で来たんですー」と言って実券二枚貰って絵画教室のKoさんに渡せばいいのね.
……ペアチケット…
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小悪魔だったら細かく状況を言わないんだろうなーそういう人に みんなひっかかるんだな(ため息)
今は誰も行く人居ないからどうせ一人だよーダ.
さて
東京国立博物館 平成館で開催している【長谷川等伯】展を見に行った.
長谷川等伯《1539-1610》は能登国《石川県》七尾に生まれ染色業を営む長谷川宗清の養子となる.
30代前半に妻子を伴い上洛.
それから50代前半まで年表には記述がほとんど無い.
その間 僧侶・武将や町衆”京都の裕福な商工業者”の肖像画で生計を立て人脈を築いていたようだ
狩野派に入って研鑽を積んでもいたようだが狩野一門の御曹司で英才教育を受けていた狩野永徳とはライバルであったようだ.
地方出身の京都で特に後ろ盾の無い一介の絵師であった等伯は
一代で その永徳を凌ぐ程の絵師へと昇りつめる.
信春時代は絵仏師なので仏画が多い.
等伯と名乗るようになると山水・水墨画が多くなる.
水墨画の【松林図屏風】
これは この展示会のPRで駅に貼ってあるポスターでもあるけれど
最高峰とされる所以は『描かずにあらわす』だそうで
実際 実物を見れば納得がいく作品でありました.
この作品の前は かなりの人が居るんだけど
ほとんどの人が少し距離を置いて見ていた.
もちろんガラス近くまで寄って見る人も居たけど
あたしも近くまで寄らないと筆遣いが分からないからガラスに鼻をぶつけるくらいまで行って見たけど
何人かが近寄るとやっと他の人も近づいて見ていたよ.なんなんだろうか.
禅宗の故事にもとづいて描かれた襖絵が面白かったですよ.
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